原発事故は有事


フランスの国家的記念日である7月14日の革命記念日、別名パリ祭。日本では盛大なレセプションをフランス大使館で行うことを常としてきたが、今年はその慣例を破って、福島県の郡山市で行われた。これだけでも前代未聞なのに、さらにこの日、フランスの文化大臣が来日した。革命記念日には全閣僚が大統領とともに軍事パレードを閲覧し、レセプションに臨むのが伝統だが、この日に大臣が欠席するのはまったく異例のことだ。

表向きの趣旨は東日本大震災の被災者に対してフランス国の連帯を示すということだが、新聞などによると、3.11に起きた福島原発大事故の直後、外国人が大挙して日本を離れたり首都圏を離れたりし、なかでもフランス人が目立ったようで、日本を捨てた、日本人を捨てた、と恨み節で言われることもしばしばあり、そのイメージを払拭するという意味もあるようだ。

多くのフランス人が首都圏や日本を離れたのは事実だ。一方で、震災の三日後にはフランスのレスキュー隊が来日した。私はレスキュー隊に随行することを志願し、仙台に行った。レスキュー隊には放射線防護班がおり、レスキュー隊全員分の放射線防護服などを持参していた。道中、彼らが持っていた放射線測定器は随所で反応していた。

仙台では、放射線防護班は常時、パリ本部と連絡を取り合っていた。そして夜中、雪が降りしきる中、パリから撤収命令が出た。福島原発が放出した大量の放射性物質が、風に乗って仙台の方に向かうと予想されたからだ。既に、昼間活動した地域の泥から通常より高い放射能が観測され、一人一人の靴の裏を除染したばかりだった。

我々は現実に放射能汚染に直面していたのである。当然といえば当然だ。原子力発電所が爆発し、大量の放射性物質が大気に放出されたのだ。それは火山の噴火に喩えられる。火山灰が風に乗って流れ、地表に降り注ぐのと同じように、放射性物質は風に乗って上空を漂い、地表に降り注いでいたのだ。

それなのに気象庁は風の情報を公表しなかった。放射性物質の動きが予測できたにもかかわらず、決して国民には公表されなかった。しかしフランスの放射線防護研究所やドイツの気象庁などが、放射性物質の動きをシミュレーションして公表した。それによると首都圏も危なかった。だからフランス人をはじめとする外国人は、首都圏や日本を離れたのである。自分や家族、社員の生命と健康を守るための、当たり前の行動だった。

フランスでは原子力発電所付近の住民にはヨウ素剤が配られている。電力会社は原発周辺の住民の名簿を持っており、爆発の危険があれば一人一人に屋内避難や遠隔地への退避、ヨウ素剤の服用などを指示することができる。爆発が起きれば原発周辺の農産物は直ちに流通禁止となる措置が県知事によってとられる。

なぜ日本にはそのような体制がないのか、ここが問題なのだ。それは東電や政府、自治体が、原発に危険はない、と説明してきたからだ。だから危機に対する用意が、住民にも行政にも電力会社にもない。だから誰も逃げない。誰も逃がさない。そして逃げる人々を非難する。

日本に存在する50基余りの原子炉のうち、現在稼動しているのは12基だそうだ。そしてこの12基も、検査のため来年の春までにはすべて停止することになっている。だがあと数年間、燃料棒の冷却を続けなければならないし、運転再開する原子炉も出てくるかもしれない。

今からでも遅くはない。原発事故に対応するための非常体制を早急に整えるべきだ。それを抜きにして日本に核燃料を扱う資格はない。

2011年9月7日
北上リグ
 

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