第6回「青春のエッセー 阿部次郎記念賞」課題作品の部 最優秀賞 受賞作品
三重県 高田高等学校1年 伊藤 江理華さん
《スーパーキッズ・オーケストラ ヴァイオリン奏者》
昨年の夏、私たちは仙台空港に到着した。私はずっと不安だった。行きたい、行かなくては、と思う気持ちがどこかにある一方で、行ってどうなるのか、と不安で仕方なかったことを覚えている。いつもにぎやかなオーケストラの仲間は、みんな静かだった。急に決まった訪問に送り出すメンバーの親たちの中には賛否があった。ギリギリまで日程が決まらず、情報不足が不安をあおった。簡易風呂のイメージはわかない。ペットボトルに水を何本持っていくか、そんなメールが何往復もした。報道でしか知らない震災後の東北、それはまるで未知の世界に無防備で行くようなものだった。
空港は閑散としていた。バスに乗り、訪問予定先の釜石までの道中、窓から見えてくるがれきの山は報道で見聞きしたもの以上に悲惨だった。実際に見ると、目の前に広がっている事実をどうやって理解すればよいのか、「百聞は一見にしかず」、「一知半解」、「皮相浅薄」とぐるぐると訳のわからない熟語が頭をかけめぐった。考えよう、理解しようと必死だったのか、それとも単に現実逃避か自分がよくわからなかった。
コツコツと人がつくってきた街は、自然が一瞬にして破壊していった。海が、津波が壊していった。まるで、人の頑張りをあざ笑うかのように、一瞬で壊していった、そう思えてならなかった。建物は壊され、流され、人の命まで奪った。ここへ来てよかったのか、どうして来たんだ、不安だった気持ちが焦りと後悔に変わっていった。一番最初に、根浜海岸で海に向かって祈りの曲を弾いた。未だ海から戻っていない人へそしてこれからも一緒に暮らしていく海へ、自分の中に迷いが残るまま奏でた。集まって下さった地域の方々はそっと聞き入って下さった。「ありがとう、ありがとう」と何度も何度もお礼を言って下さった。「何にもしていない」罪悪感でいっぱいになった。一刻もはやく逃げ出したい気持ちにもなった。そんな時、宿のおかみさんが話してくれた。亡くなった人のことを思いながら、みんな前を向いて生きなくてはならない。悲しみが大きかった、大きすぎた。でも誰もが頑張っている。そう言うおかみさんの姿を見て、私は「頑張って下さい」という声もかけられなくなってしまった。止まっていられない。それも分かっている。次の一歩、前にすすむ一歩、そのきっかけに言葉ではなく、音楽が必要だった、と言われた。誰もがそれぞれのペースで歩めばいい、みんな違うけどみんなが前を向いて歩いていけばいい、そんな話に不安だった気持ちが少し楽になったように感じた。
音は一瞬で消えていく。何も残らない。最初の一音のために、次に続く音のために何時間もかけて練習する。終わりもなく、完成もなく、満点もない音楽。おなかも一杯にならず、寒さもしのげない音楽。なのに必要だ、と言われて、驚き戸惑った。どんなことがあっても季節は巡る。太陽は沈んでも、また必ず昇ってくる。明日は来る、必ず。前を向くために音楽が役立つとは思ってもみなかった。そして、音楽が人の心の奥深くにとどき、寄り添うことができるのだ、ということを教えてもらった。
たくさんの位牌が並んだお寺でも弾かせていただいた。弾いていると泣いている声が聞こえた。心をこめて弾くこと、そんなことはできなかった。ただ無心で弾くことしかできなかった。その後、いくつかのチャリティーコンサートに参加することができ、募金により津波で楽器を流された人に楽器を届けることができたそうだ。よかった、嬉しかった。
今夏も、被災地に出かけることができた。片付いている、と根拠もなく私はそう思って出かけた。あれから一年たった。今年は再訪を楽しみにしている自分がいた。しかし、現実は全然違った。がれきの山はそのまま残っていて色があせていた。そしてその上から草が生えていた。現実の厳しさを思い知らされた気がして、無知を恥じた。そして再生の道への厳しさを痛感した。「がれき」と呼ばないで、と地元の方がおっしゃったそうだ。見れば確かにゴミの山だが被災された人達にとって、あの瞬間までは生活の一部で思い出のつまった宝物の山なのだ。そう教わった時、悲しみの深さを全く理解できていない自分に気が付いた。
届いた楽器のバイオリンを習い始めたよ、と現地の子供たちが弾いてくれた。何かに夢中になることにより、前を向いて進んでいる。再生への道を一歩一歩たどっている。音楽を通じて交流が始まったことを知り、本当に嬉しかった。
海は静かだった。何もなかったように。朝光が反射して美しく輝いていた。不思議なことに誰も海を恨んでいないことを知った。一年前と同じように海に向かって奏でた。今年は元気になるような曲を選曲し、まわりは涙ではなく笑顔であふれた。
復興、再生、絆、いろんな言葉が震災後の日本をぐるぐる回っていた気がする。人がせっかく築いたものを自然が壊した。街がなくなった。そしてその無残な傷あとが積まれたままになっている。時間とともに日々の忙しさから忘れがちでもある。遠い私の住む場所に被災地のその後を知らせてくれる報道は減った。それでも、ポッカリ空いた時間に、ふと思い出すことがある。あの日、テレビの向こう側の世界。そして自分が実際見た時の衝撃。きれいごと、そんなものは要らない悲しみで一杯だった人々。涙も出ない悲しみがあるということも、同時に人々の強さや、やさしさも知った。
たくさんの物を壊し、命を奪い、悲しみで一杯にしていったが、自然は人の心まで奪うことはできなかった。人は悲しみから立ち上がり、より弱い人、つらい人に寄り添い、前を向いている。壊したのはモノだけで人々の心は強く、美しく、そして今、それが原動力となり少しずつ再生している。
来年もまた、音楽を届けたいと思っている。最後のがれきがなくなっても亡くした人への思いは消えることはないだろう。街がきれいになっても、もとどおり復興しても、それだけでは再生にならない気がする。
今、私の心のどこかにいつも被災地の風景がある。頑張っている人の姿がうかぶ。被災地のことを思っている、思い続けている、そう自分に言えることで、私は昨年の被災地訪問前の不安だった気持ちに整理ができたように思う。不安から始まった心はいつも思っている、気にかけている、と言えることでまるで一緒に前を向いて歩いている気持ちになれる。
消えてなくなる音のために、東北の楽器をやっている人も、私自身も音楽と向かいあう。音楽は不思議な力を持つ。見えないのに、消えてしまうのに、心の奥深いところにそっと静かに入って力になる、繋げてくれる。被災地に、出来上がりも、完成もないように思う。でもそれは音楽と同じだ。再生、消えてなくなる一音の次の音を奏でるように、生き続けること、前をすすみ続けること、被災地がそのような姿であってほしいと願うのみだ。