被災地の子どもたちのスピーチ

2013年6月27日にSupport Our Kidsのフランスステイに参加された中高生の皆さんを迎えてパリ日本文化会館で行われた懇親会でのスピーチ全文です。

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私は今回のこの、宮城県・福島県から来た十名の生徒の中でいちばん歳上で今回リーダーという立場に任せていただいております。
どうぞよろしくお願いします。

私はちょっとフランスに来て感じたことを話させていただきます。
フランスの方ってほんとに挨拶を気軽にするな、っていう第一印象です。
日本でももちろん「おはよう」とか言えば「おはよう」と返してくれる家族がいますし、地域の方がいます。
でも、フランスの方だと例えば、ちょっとしたスーパーなんかに入ったり、ちょっとしたブティックに入っても、「ボンジュール」ってすぐに、声をかけてくださったり、そうすると私も気軽に、日本だとあまりないなぁとこっちに来て思ったんですけど、気軽に挨拶をするようになりまして、こういう文化ってとても大切だなぁって思いました。

あと、やっぱりどうしても言葉の壁は大きいなぁって思ったことはあります。
今日なんですけれど、セーヌ川をクルーズした時、たまたま隣に11歳のフランス人の女の子が、学校の遠足か何かで座っていたのですけれども、その時に何か訊かれても全然意味が解らなくて(笑)
すごく伝えようとしてくれるのは判っているのに、でも、解らない…、っていうのが凄くもどかしいなぁと思いました。

その事があったので、語学について、凄く勉強したいなぁっていう意欲が高まりました。
でもその一方で、言葉が無くても伝わることっていっぱいあるんだなぁって思いました。
っていうのはその、船の上の出来事だったんですけれども、一番最後に「ありがとう」って言ってビズをこう、周りに居た子といっぱいして凄く楽しかったんです。

言葉が無くても伝わることと、そして言葉がなければ伝わらないものもどっちもあるんだなと思いました。
なので私は、今後将来に向けて語学をたくさん勉強して、言葉がなくても伝わらないことをもちろん伝えて、言葉がなければ伝わらないものをいっぱい伝えられたら、と思います。

私も震災の経験を通して、考えた事についてご紹介します。
私の地域は海の方から離れていたので、津波の被害は特にありませんでした。
それにあの、揺れがとても大きい地域ではあったんですけれども、たまたま家が公営住宅だったので、家が崩れるようなこともなく、周りの、今回来ているメンバーの中では、比較的軽い被害だったのかなーって思っています。
その時にあの、でも、家の中の家具っていうのが結構壊れてしまって、で、あのう、私の家が家の中に女4人しかいないんです。
その時にたまたま、同じ町に住んでいる外国人のクリスっていう友だちがいるんですけれども、その人が駆けつけてくれて、家具をこう、直してくれたりとか、物を運んでくれたりとかいっぱいしたんですけど、で終わった後に彼に、何処に行くんだって訊いたら、「いや今から石巻に行ってボランティアに行くんだ」
彼はほんとに、日本語喋れるんですけれども、わからないこともいっぱいで困っているはずなのに、それでもこう、自分のことそっちのけて周りの人を、助けていくっていう気持ちがあって凄く感動しました。

もうひとつ私が震災で感じたことが、日本人は地域コミュニケーションが凄く発達しているということ。
たまたま私の家がかもしれないんですけれども、地域の密着性というか、地域の方が凄く仲が良くて、震災の時もお互いに水を分けあったり、食べ物を分けあったりして、食材については何一つ困りませんでした。
それであの、さきほど出てきたクリスっていう友だちに、外国にもこういう文化はあるのか?近所付き合いっていうものはあるのか?って訊いた時に、「あんまり多くはない」っていう返答をいただいたんです。
もちろん彼が住んでいる地域だけだったのかもしれないんですけれども、それが日本のいい点だとも書かれたので、今後、いろんな世界に向けてそういうことを発信していけたらなと思います。

私の話以上で終わります。ありがとうございました。


宮城県の石巻市から来ました。私の自宅の方はあまり被害がなくて、恵まれた状況にあるひとりであると思っています。
今回、私がフランスに来て、フランスの滞在で、とても凄く心に残ったのは、アートですね。
私は美術部に所属していて、絵を描いたりすることが好きなので、やはり関心もそちらの方に見入ってしまいました。
特にル・マンの耐久レースの方で走っている車だったり、ひとつとして同じデザインがなくて、それを考えたりデザインする人、そういう人の努力って凄いものなんだろうなって考えると、とても胸を打ちました。
また、その車に貼ってある企業のロゴ、それもやはり会社のひとつひとつのオリジナルじゃないですか。
それが、とても、凄い、いいものだなっておもいました。
また、町並みだったりもとても綺麗で、物語の世界に入ったような感じがし、とてもいいインスピレーションになりました。
お城とかも凄く自然と調和していて、いいなぁって思いました。

あと私の活動の話になるんですけど、私はSave the Children Japanという所の支援もあって、「子どもまちづくりクラブ」という活動をしています。
そのクラブでは、石巻、陸前高田、山田町の三地域あるんですけれど、私は石巻の地域のグループで活動しています。
そこではどのような活動をしているかというと、被災して、石巻だけでなく被災地は、子どもの遊ぶ場所というものがほとんど無くなりました。
公園だったり、学校の校庭に仮設校舎があったり、あと仮設住宅の中とかも、子どもが外で遊ぶことができなくなりました。
それで、子どもが引きこもらずに、学校だけでないコミュニケーションを作るにはどうしたらいいかということを考えた結果、中高生向けの児童館を作ろうという話になりました。
児童館を作るといっても、そこでやっぱり児童館を利用する中高生だったりの声が入っていないと、ただ作っただけで終わってしまうので、その地域の中高生の聞き取りの調査をしたりとか、また、建設予定地に、古いあまり活気のない商店街があるので、そこの商店街の人がどうしたらいいか、どのような復興をしたいか聞き取り等をしました。
どのような内外素案にするかという話もあって、皆で男子と女子でグループに分かれて、間取りを考えたり、そこで建築家の方に入ってもらって、こういう設計になったら凄い良いんじゃないかという話を聞いたりして、ようやく内外プランが決まり、内装素案決まり、6月の16日に鍬入れという今後建築が始まる儀式をしていました。
私はこの滞在で参加できなかったのですが、とても喜びでいっぱいです。
このように、あ、まだ話したいことがあるのですが、この後、また各自でお話させていただきます。
このフランス滞在だったり私の活動のように、私はとても支援を受けたりチャンスに恵まれています。
また、日本に居ては、フランスからどのような支援を受けたかっていうことは全然情報が入らなくて、どうしてもやっぱり、物だけでしか入って来ないんですよ。
でも、ここフランスのパリで現地に入って、このような支援してこのようないろんな支援してくれた人達の気持ちを聞いて、とても私達は励まされているんだな、これからも立ち止まらずに頑張って行かなきゃいけないなっていう気持ちになりました。
これから私は地元に戻っても、この活動だったり、自分の勉強だったりを頑張って、いつかもし、そういう別の国とか地域で、災害に遭った子どもたちや人たちを支援できる立場になれたらいいなと思います。
以上です。ありがとうございました。


宮城県仙台市から来ました。
僕が住んでいる愛子(あやし)というところは全然津波の被害もなくて、大きな被害というものはなかったんですけれど、家の外壁が壊れてしまったり、僕の学校なんかは体育館の床が全部落ちてしまったりという被害だったんですけど…
僕の家の近くの避難所にも津波から逃げてきたけれど、津波のあった近くの避難所がいっぱいで入れなくて、こっちの、内陸の方に逃げてきたっていう人もいて、そんなにすごい大きい地震だったんだと、その時に感じました。
今回のフランスのステイで大きな学んだことというのは、ルマンの耐久レースを観に行ったんですけどそこで大きな大会で1人のレーサーを、何十人何百人という多くの人がレーサーを支えてて、みんなで協力して一つのものをつくり上げるということにすごい感動して、今後自分が地元、日本に戻って、協力すれば成功するっていう、あきらめないで協力して復興をみんなで、日本全体でしていくってことを自分が伝えて、自分から積極的にできるようになればいいと思いました。
またル・マンの学校の寮生活で同じ年の人と過ごさせてもらったんですけど、そこで語学、言葉の壁があったんですけれど、自分も英語をやってるのに、全然自分から喋り出せなかったりしたんですけど、あっちの人っていうのはすぐフレンドリーに接してくれるそういうところにすごいなと思って。
自分ももっと語学の勉強をして世界に多くいっぱい友達が増えたらいいなと思いました。


(僕はこういう皆さんの前で話すのは苦手なんですけど…)
僕がフランスに来て思ったことはフランスの人はみんなフレンドリーで自由っていう感じがしたんですよ。
いい意味で言うとみんな自由に話しかけてきたり、知らない人にもすごく前から知ってたかのように話してくれる感じで。
それでもその自由すぎるっていうのが悪い面もあって犯罪が…なんか多いみたいなんですよ(笑)
まだこっちでは、Support Our Kidsの人では犯罪にあった人はいないんですけど…(笑)。
色々あるみたいなので気をつけていきたい…です。

僕が震災について思ったことは…
震災とかはいつ来るかわからないので備えが大切だということを伝えたいです。
その理由は…今回の震災で…僕の家は1階が全部浸水して、それでもっともっとすごい・・・、うちのお母さん、僕のお母さんを亡くしてしまったんですけど、備えとかがあんまりなくて、地震とかがあった時にどこに逃げるとかじゃなくて・・・まぁ適当にこないからいいだろうみたいな感じだったんで・・・うちの人が不用心だったからこんな結果になったと思うんで・・・
皆さんにちゃんと備えて・・・皆さんに備えていただきたいな、備えていただきたいということを伝えたいです。

あと震災とは全然関係ないですけど、言葉は通じさせようと思って言って、聞く方も本気できこうと思えば、何となくでも伝わっているということを伝えたいです。
それは、僕は本当に英語ができないんですよ。みんなちゃんとした英語喋ってるのに、僕だけ要点ズバズバ言って、先生とかにも言ったら、お前何いってんだって怒られそうな英語を言っているんですよ、でもなんとなく相手に伝わって、今まで3回フランスのステイ中にそういうことがあって、そういうことを思いました。
終わります!


宮城県仙台市高校一年です。えっと、家も結構内陸の方で、津波とかの被害よりも揺れで。えっと、僕向こうで茶道をやってまして。あるきっかけで被災地の方にお茶をふるまうっていう機会がありまして、それで避難場所に行ってお茶を振る舞った事があるんですよ。そこでなんか結構行った時に空気がどんよりしてるというのか うーん何か自分の知らない場所でこういう事があったんだな、そういうのがひしひしと伝わってくるような状況だったんです。それでお茶出させてもらって飲んでもらったら、あの少し雰囲気と言うかほっと和んだと言うかそういうのが伝わってくるみないなんですよ。その時はすごく嬉しくて。人のために自分が役にたてたってことがとても嬉しくって、何かできる事があればこれからも続けていきたいっていうのが、震災にあって僕が思ったことです。

でフランスステイ中に一番思ったことが、もっと日本見なきゃなって思ったんですよ。あの、えっと結構最初の方ルマンにいて、ルマンの街並みってむちゃくちゃきれいなんですよ。何か景色もそうだし、町並みとか、後なんか言っちゃえば、寮の部屋とかすごくきれいだし。それであのー、今回のフランスのステイに参加させてもらったきっかけが、あのー自分の視野を広げたいってことだったんですよ。何か自分の家とか学校とかそういう狭い世界しか僕は知らないので、もっと世界見てみたいなという事で参加させてもらったんですけど。

何か日本にももっとまじめに見ればいいところって沢山あるんじゃないかな?そう思ったんですね。後、日本にないフランスにあることって・・・地下鉄乗ったんですけど、その時に片足なくて、その人が体引きずりながらなんか「お金くれー」みたいななんか、後、トランクスとシャツ一枚で毛布かぶって歩いてそこで「お金くれー」とか。そういうのって日本に全然ないじゃないですか。そういうなんて言うんですかね、世界を見ることで、日本との違いって、日本との違いがたくさんあって、狭い世界しか知らないって思っていたんですけど、もっとまじめに見れば日本だって広いんじゃないかというふうに思ったんです。あーなんかちょっとまだまとまってないんですけど。一応そういう風に日本を真面目に見たいって言うのは俺ん中でフランスに来て思った事です。以上です。


えと、宮城県の石巻市から来ました中学2年生です。私の家は、なんていうんだろう、海の近くにありまして、私の家一帯は全部なんか(準備してきた、写真を貼ったノートを見せながら)見えづらいんですけど、ガーッと無い感じになってしまって、私の家も今ないんですけど、そういうことがあってちょっとそのためにみんな、私の友達で亡くなった人もいるんですけど、そういう人たちの分まで、周りの人、周りのかたに、が、私たちは頑張っているんだよっていうことを伝えるために、今回のプロジェクトに参加させていただきました。
えーっと、私は今回、このフランスに来て思ったことは、なんだかみんなとても温かくて、話しかけると挨拶を返していただいたりとか、歩いている時に困っている人とか助けてくれる人とかたくさんいて、すごいいいところだなと思ったので、そういうのを帰って、こういうところがあったんだよということを周りの人たちに、元気に頑張っていることを伝えてきたよっていうことを、教えたいと思います。すみません。ありがとうございました。


宮城県の大崎市からきました。特にルマンを見たことから話したいと思います。今回のレース、スタートの時点から見てきたんですけど、最初10分くらいのところでいきなり1台の車がクラッシュして、それはテレビで見ていたんですけど、テレビで見て、大変なクラッシュだなぁと思ったんですけど、そのドライバーの人が亡くなったと聞いて、カーレースっていうのはやっぱり始まる前の会場とかの祭りみたいな華やかな部分もある一方で、事故とか死ぬこととかそういうことと隣り合わせなのだと思いました。僕は、命をかけてでもその好きなものとか、そういったものを見つけてこれから極めていきたいなと思います。
それからあと震災についてなんですけど、僕の家は大崎市っていう内陸の方にあるので、津波の被害とか全くなかったんですけど、海岸の方は、沿岸部の方は利権の問題とかいろいろ問題があると思うんですけど、僕が思う内陸の今の問題点は、建物が地震で壊れて、ま、倒れたところがあったんですけど、それがだんだん復興してきて、新しく建て直されたりしてきているんですけど、それが逆に地震の爪痕をどんどん消してしまっているなと。なのでその震災の記憶っていうのが後に伝わらないんじゃないかなぁっていうのが今、僕が思っている内陸の問題です。
今回の東日本大震災は、津波の被害が大きく、海側の方に目が向けられがちだと思うんですけど、それは全然悪いことじゃないですし、批判することもないんですけど、内陸の方にも目を向けていただきたいなぁということをお伝えしたいと思います。


宮城県の名取市からきました。私は仙台の宮城野区っていうところに住んでいて、多賀城の隣のところだったんだけすけど、津波がちょっとだけきて、川の氾濫が一番大きかったんですけど、そこまで被害を受けてないんですけど、いろいろ食べ物とか水とか大変で、えっとその時に、給水に行ったんですけど、おじいさんがガラガラに水入れていて、男の人が手伝いますよって言っていて、すごい助け合いって大切だなと思いました。
あと、今回のフランスで寮とかで(震災の)写真を見せながら説明する時に、すごい興味もってくれて、外国の人もけっこう興味もってくれているなと思いました。フランスに来て感じたことは、結構みんな思っていたよりもやさしくて、フレンドリーだということです。駅でちょっとかっこいいおじさんがいて、それで(笑い声)「かっこいいですね」って小柳さんが言ったら、手を振ってくれたりして、でフランドリーになったなぁっと思ったし、あと最初の方にルマンでビズされそうなったおじさんにちょっと逃げちゃったんですよ。(笑い声)それで、ちょっと人見知りなんで、だめだなーって思ったんで、その国の文化をちゃんと受け入れなきゃなーと思いました。


福島県福島市から来ました。
私がいちばんこの、フランス滞在を選んだ理由とここに来た理由は、福島県民として、原発の被災者として、原子力発電に偏っているこのフランスのその、原子力についての考え方を、もう一回考えなおして欲しいということが私がここに来たいちばんの理由です。
で、私が、その被災したときは中学三年生のころで校庭の砂の放射線の値が政府が指定した制限値の何倍以上にもなってしまって、屋外活動を規制されてしまったり部活動とか体育の時間の外での運動とか、プールも出来なかったですし、眼に見えない放射線と、よくわからないような世間は騒いでいるけど、子ども達は、よくなんなんだかわらないような世界で過ごしていた、すごい苦しかった2年間だったんですけど、それをフランスの人に限らず世界中どこの国でもそういう体験をしてもらいたくないという思いがあって、私が伝えなきゃいけないことだと思ったんでフランスに来ました。
なので、支援とかとてもほんとに先ほどの話で福島っていう支援の題名とか聞いて涙が出そうになったんですけど、(涙)
支援してくださるかたがいっぱいいて、自分が一番苦しかった7月とか6月とかにパリとかで演奏活動とかしてもらっているのがとても嬉しくて、これからも日本に帰ってからもフランスで学んだこととかも私が先頭に立って伝えなきゃいけないなということを改めて実感しました。
私がフランスステイで一番印象に残っていることは、私の将来の夢はエンジニアになることで、ル・マンの耐久レースで車の****にあたっている方とかドライバーの方々がチーム一丸となって一つのものを追い求めている姿を見て実際に活躍しているエンジニアの方とかドライバーの方ほんとに目の前で見ることが出来てこれからの自分の夢を追い求める活力というか気力にとても大きく影響したのでこれからも絶対にあきらめないで世界で活躍できるようなエンジニアを目指して頑張りたいと思います。
ありがとうございました。


宮城県から来ました。
今回フランスを選ばせていただいた理由は、私は語学が好きで少しだけフランス語も勉強していて・・・・こっちでフランスの人達と話したいなと思って来ました。
一昨日まで寮にいたんですけど、そこの人達たちはフランス語で英語が喋れない人が多かったんですけど、私はフランス語を勉強したとはいってもほとんど喋れなくて寮の人たちと会話もあまりできなくて、伝えたいことが全然言えなくて伝わらなかったりするじゃないですか。
私は伝えたいんです。
伝わらないとすごくモヤモヤして、アーッとなるんで頑張って寮にいる間も夜とかフランス語の本を見て明日は何を言おうとか、なんて伝えようかと勉強していました。
人に伝えるってすごく大切なことだと思うんです。
昔は、震災のことにつながるんですが、お父さんが津波で亡くなって私はお父さんに何も伝えられませんでした。
本当に何も伝えられなくて、だから今いろんな人に伝えたいと思って、言葉もいいんですけど、私は音楽が好きで、震災後も救われたのは音楽でした。
友達もすごく笑わせてくれたり励ましてくれたりしたんですけど、私の大好きなアーティストの曲を聴いていつも救われていました。
だから・・・だから、そういう伝え方がすごく・・・すごくいいなと思って、絶対私も音楽でいろいろ伝えたいなって思って、それで曲を作って歌ったりしてきました。それで、今、今、今がすごい大切なんです、私にとって。
それは、過去は戻ってこないし未来は何があるか分からないし、結局あるのは今だけじゃないですか。だから伝えたいことは今絶対に伝えなきゃいけないって思うんです。
だから私はいつも今歌いたいことを歌ったり、伝えたいことは、口では言えなくても詞に書いていつか絶対歌ってやろうって思ってきました。
今もこうして人の前で話して、こんな自分のことばっかり言っていますけど、伝えられていることが嬉しいです。
ここに来て言葉が通じなくてもなんとか伝えて、あ、伝わったなって思ったときやっぱり嬉しくって語学が好きというより言葉が好きみたいな感じだなと気づきました。
フランスに来る前の東京での事前研修で私は震災のことについて喋って同じようなことを話したんですけど、すごい泣いてしまって今回絶対に泣かないぞって思って話しています。でもそれがラジオに流れてしまって(場内笑)お母さんに聞かれたくないと思って近くの人には心配されたくないし、同情されると逆に泣きたくなるんで、周りの人達にはできるだけ笑ってほしいし、心配もされたくないし、いつか私も音楽とかで有名になって友達とか知り合いとか周りの人が笑ってくれるようになりたいなって思います。
ありがとうございます。


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1 Response to 被災地の子どもたちのスピーチ

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