東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート
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2. 被災地に入るまで

日本に行くことは決まりましたが、「ボランティア迷惑論」も聞こえてくるような状況でした。そこで私は個人で行くのではなく、団体を通してボランティアをしようと思いました。インターネットでいろいろ調べた結果、「カリタス・ジャパン」というカトリック系の団体にお願いすることにしました。というのもカリタス・ジャパンは国際カリタスの一員であり、カリタスの存在はフランスでも知られていますし、彼らのハイチ大地震、スリランカやイラクの難民支援など、世界中で幅広く行われている活動に好感を持ったためでした。

カリタス・ジャパンにメールで問い合わせをしてみると、すぐに返事が来て、

「ゴールデンウィーク以降、人手が不足気味なのでぜひ来てほしい」

とのことでした。複数ある活動拠点のうち、私たちは宮城県塩釜市になるということ、そこにはどのように入るのか、自分たちで持っていくものや活動内容についてもわかりやすく説明してくれたので、何の不安もなく準備をすることができました。

こうして日本に着いたのは5月20日のこと。塩釜市に向かったのは、5月30日のことでした。

私たちはバスで行ったのですが、ボランティアに入る前に、仙台市にある本部でオリエンテーリングを受けないといけなかったので、まず仙台市に入りました。ここで夫ともども驚いたのは町が「まったく普通に見えたこと」でした。

耐震設計を施されたビルにはひび一つ見当たらず、商店は普通に営業し、人々はレストランで食事をし、普通にショッピングを楽しんでいるように見えました。私たちの全身アウトドア・グッズに身を包み、巨大なリュックサックに寝袋といういでたちは、仙台の町ではとても奇異に感じました。

しかし塩釜市に入った途端、状況は一変しました。

現場での注意事項などのオリエンテーリングを終え、仙台市から電車で塩釜市に向かう予定だったのですが、前日に台風が来ていたため電車は不通。結局、サポートセンターのボランティアの方が車で送ってくださったのですが、仙台から塩釜までは30分強ほどだったと思います。私たちは活動拠点となるベースに向かったのですが、作動していない信号機や、夜とはいえ、津波の跡が残った壁、壊れた窓、倒壊した家などが見えました。

こうしてボランティアベースに着いたのはすでに20時頃でした。ここは被害を免れた教会で、カナダ出身の神父様は震災が原因で亡くなられたとのこと。その後、信者さんの一人が発起人となって、信者さんたちのご厚意のもと、ここをベースとして使わせていただいているとのことでした。

女性陣の寝る部屋。本来はミサ用の場所

この日いたのは総勢10人ちょっとでしょうか? そのうちの半分が70歳以上だったので大変驚きました!(その後彼らの活躍にまた驚かされるのですが……。)夜のミーティング中だったのでこれに参加後、就寝。

部屋は男女に分かれてはいましたが、雑魚寝でした。女性陣の部屋はミサが行われる部屋で、キリストとマリア様の像の前で寝るというのは不思議な感じでした。幸い畳があったので、その上に寝袋を引き、背中が痛くなったり、寒いということもなかったのですが、いびきやトイレに起きる人の音が気になって、私たちはここに6月6日までの8日間お世話になりましたが、滞在中、どんなに疲れていても、私は一度として熟睡することはありませんでした。


7 Responses to 東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート
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  1. 粟田御鈴 より:

    体験談の記事の次が待ち遠しいです!

  2. 粟田御鈴 より:

    野々島での活動の様子が眼の辺りに見えるような記述に引き込まれながら読ませて頂きました。写真もいいですね。
    体験談がなぜこんなに細切れになってしまったのか、読む側としてはちょっと残念です。
    全文が掲載されるまで待ってから最後に纏めて読む方が、連載としてよりも印象に残る気がします。

    • Kyo ICHIDA より:

      粟田さま
      貴重なご意見をどうもありがとうございました。
      荒木さんご夫妻のレポートは8日間の現地でのボランティア活動と前後の経緯・心情が綴られています。
      長文を分割する必要があったのはもちろんですが、なるべくレポートの時間軸に沿って掲載したい意図がありました。と申しますのは、ご存知の通り復興は一気に進めたくとも実際には非常に時間がかかり、また特に海外では始めはニュース等で大きく取り上げられても、やがて忘れられてしまいがちです。
      少しずつしか進むことができないけれども、継続的に思い出していただければ、という試みで連載の形を採らせていただきました。
      このレポートは連載終了後も永く掲載し続けますので、また是非まとめてお読み頂ければ幸いです。
      本当にどうもありがとうございます。

  3. 竹村友美 より:

    こんにちは。麻美さんの体験談を拝見させていただきました。私は今現在アメリカに住んでいます。今回コメントさせていただいたのは、今度大きなペーパーを書くのですが、その際の私のペーパーの主題が東北地方太平洋沖地震です。ペーパーをサポートするために経験者の方にメールで何問か質問をさせていただきメールを通じてインタビューをさせていただけたらと思います。
    もしお時間があれば、Eメールという形になりますがご協力お願いいたします。

  4. 竹村友美 より:

    何度もすいません。Eメールじゃなくても大丈夫です。
    質問は、
    1、地震が起こった時の人々、政府の対応。
    2、地震が起こった後の人々、政府の対応。
    3、現地に行った時に身を以て感じた深刻な問題。
    4、国単位で被災者の方々や問題解決のためにすべきこと。
    5、個人個人で被災者の方々や問題解決のためにできること。
    少しお時間取られますが、お願いいたします。

  5. 北村 幸子 より:

    これから、寒くなりますから、毛布、布団をたくさん用意してください。そして、何日に地震がおきたら、家計簿に地震おきた、時間と震度を書いておくこと。そして、2階にも、すぐに逃げられるように、非常階段をつけておくこと、非常口を作ってください。

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