東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート
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5. 実際の活動について ―桂島―(6月4日~5日)

野々島の次は桂島で2日間の活動でした。

ここでの初日は、高台にあったので津波の被害は受けなかったものの、倉庫の物が崩れ落ちてきたりして片付けられないというおばあさんのお手伝いをしました。

確かに少し高台にある家は、多少壊れたところがあっても十分に住める状態でした。それに引き換え、平地だったところにはもう何もありません。「家が残っている!」と思ったら、どこからか流れ着いた家の2階だけだったり……。被害にあった家とそうでない家の住民同士に微妙な感情の軋轢があるとも聞きましたが、これを見て深く納得しました。

おばあさんの家の倉庫の片付け自体は何の問題もなく終わったのですが、私はここで「ハテナ?」という事態に遭遇しました。というのもおばあさんの倉庫は恐らくもともとがものすごく散らかっていたと思われるのです。今回確かに地震でそれが崩れたのでしょうが、もっと助けが必要そうな家はいくらでもありました。そのお宅には息子さんもいると聞いていましたが、仕事に出かけているのか彼の姿を見ることもまったくありませんでした。

「私はボランティアではなく『震災ボランティア』ではないのか?」

という疑問が頭の中をぐるぐる駆け巡り始めました。しかもそれに追い打ちをかけることが……。

その家のおばあさんを訪ねて、近所のおばあさんが来たのですが、おばあさんがその近所のおばあさんに対し、

「この人たち、『タダで』働いてくれるのよ。あなたもお願いしなさいよ!」

と言っているのを聞いてしまったのです。

ボランティアの難しさを感じた最初の出来事でした。

桂島2日目は港の目の前で旅館をしていたご夫婦の倉庫の片付けでした。この日は週末で活動人数が多く、25人くらいいましたので、1日で倉庫の清掃完了。奥さんが震災のショックで寝込んでしまったというご主人が

「1年くらいかけて一人で片付けようと思っていたので本当に助かったよー!」

と大変喜んでくださり、旅館で出していただろう缶コーヒーをスタッフ全員にくださいました。

また作業終了後、帰りの船を待っていたところ、牡蠣の養殖を再開したという漁師さんがボランティアスタッフに牡蠣をふるまってくださり、私の夫に向かって

「ここの牡蠣は世界一うまいんだ! フランスの牡蠣には負けん!」

と日に焼けた顔に満面の笑みを浮かべながら、大声で言っていたので私たちも大きな笑顔になりました。

放射能汚染のことはもちろん頭の中にありましたが、ずっと漁師として生きてきたこの方たちが仕事を再開することに何を言えるでしょうか? そしてそれを食べないとどうして言えたでしょうか? まぁ私はひどい牡蠣アレルギーなので、夫がおいしそうに3個も(!)牡蠣を食べるのを、じっと指をくわえて見ていましたけど……。

桂島にて。高台とその下の家の損傷の差は大きい
 

この日は日中出会った方たちが港で私たちの船に手を振って見送ってくださり、島の人と初めてまともな交流ができたというか、私も夫もとてもうれしい一日でした。

少ないながら出会った島民の方々は、長年自然と生きてきたからなのか、あまりの被害にふっきれたものがあるのか、よそ者の私には伺い知ることはできませんが、皆さん時には自然な笑顔も交えながら、淡々としているのが印象的でした。ちなみに私たちが行った野々島、桂島での死者はなかったということでした。


7 Responses to 東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート
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  1. 粟田御鈴 より:

    体験談の記事の次が待ち遠しいです!

  2. 粟田御鈴 より:

    野々島での活動の様子が眼の辺りに見えるような記述に引き込まれながら読ませて頂きました。写真もいいですね。
    体験談がなぜこんなに細切れになってしまったのか、読む側としてはちょっと残念です。
    全文が掲載されるまで待ってから最後に纏めて読む方が、連載としてよりも印象に残る気がします。

    • Kyo ICHIDA より:

      粟田さま
      貴重なご意見をどうもありがとうございました。
      荒木さんご夫妻のレポートは8日間の現地でのボランティア活動と前後の経緯・心情が綴られています。
      長文を分割する必要があったのはもちろんですが、なるべくレポートの時間軸に沿って掲載したい意図がありました。と申しますのは、ご存知の通り復興は一気に進めたくとも実際には非常に時間がかかり、また特に海外では始めはニュース等で大きく取り上げられても、やがて忘れられてしまいがちです。
      少しずつしか進むことができないけれども、継続的に思い出していただければ、という試みで連載の形を採らせていただきました。
      このレポートは連載終了後も永く掲載し続けますので、また是非まとめてお読み頂ければ幸いです。
      本当にどうもありがとうございます。

  3. 竹村友美 より:

    こんにちは。麻美さんの体験談を拝見させていただきました。私は今現在アメリカに住んでいます。今回コメントさせていただいたのは、今度大きなペーパーを書くのですが、その際の私のペーパーの主題が東北地方太平洋沖地震です。ペーパーをサポートするために経験者の方にメールで何問か質問をさせていただきメールを通じてインタビューをさせていただけたらと思います。
    もしお時間があれば、Eメールという形になりますがご協力お願いいたします。

  4. 竹村友美 より:

    何度もすいません。Eメールじゃなくても大丈夫です。
    質問は、
    1、地震が起こった時の人々、政府の対応。
    2、地震が起こった後の人々、政府の対応。
    3、現地に行った時に身を以て感じた深刻な問題。
    4、国単位で被災者の方々や問題解決のためにすべきこと。
    5、個人個人で被災者の方々や問題解決のためにできること。
    少しお時間取られますが、お願いいたします。

  5. 北村 幸子 より:

    これから、寒くなりますから、毛布、布団をたくさん用意してください。そして、何日に地震がおきたら、家計簿に地震おきた、時間と震度を書いておくこと。そして、2階にも、すぐに逃げられるように、非常階段をつけておくこと、非常口を作ってください。

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