8.ボランティアのあり方とは?
被災地ボランティアに入るにはさまざまな方法があり、個人で行って各地のボランティアセンターから仕事をもらう「自己完結型」と、私のように団体を通して活動する方法、そして最近増えているのは週末を使った、または観光名所や温泉入浴なども含めた「ボランティアツアー」です。このツアーはもしかすると一見安易に思われるかもしれませんが、今後長期的な継続を考えると、こうした行きやすさも大事だと思います。
というのもこうしたツアーは観光客の減ったホテルをベースとし、ボランティアをしつつ地元に少しでもお金を落とせるわけですし、ツアーでの経験をまた違う人に話すことで、震災を「過去のこと」にしない役目も果たせるとも思うからです。
私も夕飯はベースで提供していただいてはいましたが、地元の方の話も聞きたいし、ということで、2日間はストランでいただきました。そのうちのあるお寿司屋さんでのこと。最初は気難しそうな印象を受けたお父さんが、カウンターで静かに食べる私たちに声を掛けてくれたのがきっかけでいろいろと話が弾んだのですが、
「(壁を指差して)ほらここまで(床から2メートル50cmくらいのところ)水が来たの。店は完全に浸水したけど、50日で営業を再開したよ!」
と誇らしげに言っていたのが本当に印象的でした。実際、50日でお店をくまなく掃除し、畳を貼り替え、食器や機材を揃え、カウンターの板をすべて削り直す、ということの大変さは容易に想像できます。お店の周囲は閉店中のところが多い中、地元のお客さんでにぎわうそのお店だけが暗闇の中で明るく輝き、この輝きが少しずつ増えて行ってくれるといいなと心から思いました。
また、あるだけでも大変ありがたかったのですが、ベースのシャワーだとどうしても慌ただしく、少しでも疲れを取りたいのと、これも地元貢献の一つだと思い、何回か地元の銭湯にも行きました。今にも崩れ落ちそうな古いビルにも関わらず、3月中には営業を再開したというその銭湯は、被災者には日時限定で無料提供しているということ。その心意気に大変心を打たれました。震災の影響なのかはわかりませんが、お湯がちょっと茶色かったことなんてまったく気になりませんでした!
被災地の観光に携わる人の中には、「ボランティアはお金を落としてくれない」と嘆く人がいることも確かです。しかしこればかりはそれぞれの経済状況があるわけですから「できるかぎり」でいいのだと思います。
そもそもボランティア活動全体を通して、「できるかぎり」無理をしないでやることが大事なのだと思います。活動最終日の道路清掃時には、元気いっぱいの夫と違い、情けないことに私は「明日のジョー」のように燃え尽きていました……。
何とか作業はしていたものの、本当に辛い1日でした。雨合羽を着ているために汗が乾かず、そのために体力を消耗しやすいのと、慣れない共同生活にストレスを感じていたのもありますが(避難所での生活はこれが期限なしで続くわけです)、それまで自分の体力以上にがんばってしまったのでしょう。私は日本に住んでいないので無理なのですが、できれば5日間を限度とし、複数回に分けて行った方がいいと思いました。
この点、70歳以上の参加者の無理をし過ぎない参加のあり方は大変参考になりました。自分の体力を過信し過ぎず、身の丈にあった仕事を選んできっちりとこなす、疲れたら自主的に適度に休む、といったことが、結果的に非常に効率的だということがわかりました。
私たちが敬意をこめて「シルバーパワー」と呼んでいたこれらの方たちの一人は、福島からの参加だったのですが、
「原発事故が起きてしばらくショックで寝込んでしまった。でも『寝込んでいる場合ではない』とここに来たの。私たちは戦後の国づくりを間違えてしまった。今からできることは何でもしなくてはと思っています。また福島に帰ったらやりたいと思っていることが今はいっぱいあるの!」
と頼もしく言っていました。
いまだ現役だという70歳過ぎの大工さんのおじいさんは、その仕事ぶりが本当に感動的で、バールやクワの使い方、土嚢袋の締め方などを教えていただき、大変勉強になりました。また、疲れていないか心配する私に、
「普段の仕事量の半分ですよ。余裕です」
とひょうひょうと言う姿にビックリ仰天でした。
ただこのシルバーパワーの面々がベースを去った後、実は軽くひと悶着がありまして……。シルバーパワーチームの一人に心臓の問題があったようなのです。このことをあとで知った一人は夜のミーティングで、
「もし心臓に問題が起きて倒れたりしたら、ベースの存続自体に関わる。こういう人は来るべきではない。ベースも各自の健康状態をもっと把握するべきだ」
と言い、それに対してある人は
「私たちは自主責任のもと、ボランティアで来ているのだから、来たい人はすべて受け入れるべきだ」
と言っていました。
また、ベースで毎日を過ごすにつれ気が付くこともありました。それはたとえば食事の準備をしているときのこと。ボランティアの中で率先してテーブルを並べたり、お皿を運んだりする人がいる一方、寝転んで携帯を見ていたり、ぼーっとしている人がいるわけです。
私にはこれが大変不思議でした。ボランティアというのは被災地の手伝いをすることがメインであるのは確かですが、その根底には他者への気づかいや思いやりがあるべきだと思うからです。私も至らないところが多々あるとは思いますが、それでも本来なら自分たちで調達しなくてならない食事を用意してくださったシスターに感謝をし、食事の前後にお手伝いをすることは「当たり前」のことではないでしょうか?
ただボランティアに来るくらいなのですから、何も手伝わない人も、ただ単に「気が付かない」「わからない」だけなのだと思うのです。何でもかんでも「規則」を作るのはよくないのですが、せっかくの機会なのですから、気付いてもらうよううまく促す方法はないのかなと思いました。
そこで私と夫はこれについて喧々諤々で(大げさなようですが本当です)話し合った結果、夜のミーティングで話を切りだすよいタイミングもあったので、思い切って言ってみました。案の定
「自分たちはベースの家事をしに来たのではない。そんなことをしたいのなら内勤になればよい」
といった反発はありましたが、私たちに同意してくれる人も多く(特に女性!)、できるだけ助け合いましょうという、当たり前のことなのですが、一応の同意は得られました。
以上、前述の離島での倉庫の片付けの仕事、心臓に問題のあるおじいさんの参加もそうですが、無報酬であるボランティアのあり方について考えさせられた一連の出来事でした。
なお、全体的にはとにかく自分にできることをやろうという気持ちが皆に溢れており、そのよい雰囲気に私が癒された面も多々あったことは、念のため付け加えておきます。
体験談の記事の次が待ち遠しいです!
野々島での活動の様子が眼の辺りに見えるような記述に引き込まれながら読ませて頂きました。写真もいいですね。
体験談がなぜこんなに細切れになってしまったのか、読む側としてはちょっと残念です。
全文が掲載されるまで待ってから最後に纏めて読む方が、連載としてよりも印象に残る気がします。
粟田さま
貴重なご意見をどうもありがとうございました。
荒木さんご夫妻のレポートは8日間の現地でのボランティア活動と前後の経緯・心情が綴られています。
長文を分割する必要があったのはもちろんですが、なるべくレポートの時間軸に沿って掲載したい意図がありました。と申しますのは、ご存知の通り復興は一気に進めたくとも実際には非常に時間がかかり、また特に海外では始めはニュース等で大きく取り上げられても、やがて忘れられてしまいがちです。
少しずつしか進むことができないけれども、継続的に思い出していただければ、という試みで連載の形を採らせていただきました。
このレポートは連載終了後も永く掲載し続けますので、また是非まとめてお読み頂ければ幸いです。
本当にどうもありがとうございます。
こんにちは。麻美さんの体験談を拝見させていただきました。私は今現在アメリカに住んでいます。今回コメントさせていただいたのは、今度大きなペーパーを書くのですが、その際の私のペーパーの主題が東北地方太平洋沖地震です。ペーパーをサポートするために経験者の方にメールで何問か質問をさせていただきメールを通じてインタビューをさせていただけたらと思います。
もしお時間があれば、Eメールという形になりますがご協力お願いいたします。
何度もすいません。Eメールじゃなくても大丈夫です。
質問は、
1、地震が起こった時の人々、政府の対応。
2、地震が起こった後の人々、政府の対応。
3、現地に行った時に身を以て感じた深刻な問題。
4、国単位で被災者の方々や問題解決のためにすべきこと。
5、個人個人で被災者の方々や問題解決のためにできること。
少しお時間取られますが、お願いいたします。
竹村様
お問い合わせありがとうございました。
メールにて返信させていただきます。
これから、寒くなりますから、毛布、布団をたくさん用意してください。そして、何日に地震がおきたら、家計簿に地震おきた、時間と震度を書いておくこと。そして、2階にも、すぐに逃げられるように、非常階段をつけておくこと、非常口を作ってください。