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BnF主催 日仏女性劇団セラフ “La Vague” – 波 チャリティー演劇公演報告

震災から4年と3日が過ぎた2015年3月14日、フランス国立図書館大ホールにて日仏女性劇団セラフによる演劇作品『La vague – 波』が上演されました。

東日本大震災を題材としたリシャール・コラス氏の小説 “L’océan dans la rizière” (田んぼの中の海) をもとにつくられた演劇作品『波』。実際に起った様々なエピソードを紡いだ物語は、今なお少しも褪せることなく胸に迫ります。
舞台美術ではなく役者がアンサンブルと化して描写される情景。昨年の初演から回を重ねるごと更に深められた表現に、あたかも2011年3月11日当日その場にいるかのような想いが広がりました。

終演後はパリ小町の皆さんのご協力をいただき募金活動を行いました。
震災から4年が経つフランスの地で、あらためて東北の災害を深く思う一日となったこの日、2,702ユーロものご寄付が集まりました。
全て気仙沼地区のジュニアジャズオーケストラ『スウィングドルフィンズ』に送金され、震災で失われた活動拠点の確保をはじめとする今後の演奏活動に役立てられます。『スウィングドルフィンズ』の活動を通し、より一層の気仙沼地区の文化復興と発展につながりますよう、心よりお祈り申し上げます。


(suite…)

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #10

10. 最後に

被災地に行ったことで、いろいろなことが私の中で少しずつ動き出しました。被災地で出会ったすべての方、カリタス・ジャパンのスタッフの皆さま、一緒に活動をした仲間たちとの貴重な出会い、被災地用の支援物資、寝袋や手動懐中電灯などを提供してくれた日仏の友人たち、そして心配する義両親を説得しつつ、被災地に行くことを提案してくれた夫にも心から深く感謝しています。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #9

9. フランスに戻って

ボランティアから東京に戻ってから、そしてフランスに戻ってからも、なかなか心身の疲れが取れませんでしたが、少しずつ回復する中で、このレポートを書きたいと思うようになりました。

というのも繰り返しになりますが、被災地支援は今後長期的に継続していかなくてはなりません。そのためには人的・物的・経済的援助が重要です。各方面からそのことは訴えられていますが、私のレポートもその小さな一端になればと思っていますし、そのために夫にもフランス語でレポートを書いてくれるようにお願いしました。フランス人である夫から見た今回の体験は、私とはまた違う視点からのものですから、もしできれば読んでいただけると幸いです。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #8

8.ボランティアのあり方とは?

被災地ボランティアに入るにはさまざまな方法があり、個人で行って各地のボランティアセンターから仕事をもらう「自己完結型」と、私のように団体を通して活動する方法、そして最近増えているのは週末を使った、または観光名所や温泉入浴なども含めた「ボランティアツアー」です。このツアーはもしかすると一見安易に思われるかもしれませんが、今後長期的な継続を考えると、こうした行きやすさも大事だと思います。

というのもこうしたツアーは観光客の減ったホテルをベースとし、ボランティアをしつつ地元に少しでもお金を落とせるわけですし、ツアーでの経験をまた違う人に話すことで、震災を「過去のこと」にしない役目も果たせるとも思うからです。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #7

ヘドロが乾燥した状態。風が吹くとこれが風に舞う。ヘドロの中には私たちの出した汚染物質が含まれている

7. 石巻市を訪ねて(6月6日、最終日)

塩釜に着いて8日目の月曜日の午後、私たちは東京に戻る予定だったので、また離島に行って作業する時間はありませんでした。その代わり、ブラザーが石巻のベースに届け物をしつつ、東京の教会の神父様を石巻市の視察に連れて行かれるということで、それに同行して私たちも石巻市を訪ねました。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #6

6. 実際の活動について ―塩釜―(6月5日)

この日は日曜日で社会福祉協議会がお休み。そこで塩釜市のボランティアセンターを通して仕事をいただき、塩釜市内での作業となりました。

ボランティアセンターに行くのはこの日が初めてでした。センターは避難所の隣にあったのですが、センター内に積み上げられた援助物資の数々、避難所横で自転車を無料で直すコーナー、簡易喫茶室、キッズコーナーなどを見る限り、避難所の運営はスムーズに行われているようでした。私たちは避難所内に入る用事はなかったので、あえて中には入りませんでしたが、中で炊き出しやお湯だしなどの活動をされている人から様子を聞くと、やはり秩序正しく運営されているとのことでした。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #5

5. 実際の活動について ―桂島―(6月4日~5日)

野々島の次は桂島で2日間の活動でした。

ここでの初日は、高台にあったので津波の被害は受けなかったものの、倉庫の物が崩れ落ちてきたりして片付けられないというおばあさんのお手伝いをしました。

確かに少し高台にある家は、多少壊れたところがあっても十分に住める状態でした。それに引き換え、平地だったところにはもう何もありません。「家が残っている!」と思ったら、どこからか流れ着いた家の2階だけだったり……。被害にあった家とそうでない家の住民同士に微妙な感情の軋轢があるとも聞きましたが、これを見て深く納得しました。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #4

4. 実際の活動について ―野々島―(5月31日、6月1日~3日)

さて、私たちはベースに着いた翌日から活動を開始しました。普通のマスクではない防塵マスク(これはとても役に立ちました。作業の終わりにはマスクが真っ黒!)にヘドロ避けのために上下雨合羽に長靴、ゴム手袋をはめ、ヘルメットとゴーグル(これはほとんど使わなかった)といういでたちでした。割と軽装で来る人も多く、そういう人のためにはベースでグッズを提供していました。あとは各自で飲み水、昼食、おやつなどを持参しました。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #3

3. 塩釜ベースの状況

サポートセンターをはじめ、ベースのスタッフも全員がボランティアです。

塩釜ベースの運営の中心となっていたのは浜松からいらしているF修道士でした。献身的に働く彼のことを皆「ブラザー」と呼んで信頼していました。彼がベースにいないときは、長期間ベースに滞在するベテランボランティアのKさんが全体の指揮をとっていました。

このほか日本中から1週間交代で修道女の方もいらしていて、主に食事の担当をされていました。内勤といって、ベースの掃除や食事の準備を手伝う専門のボランティアの方もいました。

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東北地方太平洋沖地震 津波被災地ボランティアレポート #2

2. 被災地に入るまで

日本に行くことは決まりましたが、「ボランティア迷惑論」も聞こえてくるような状況でした。そこで私は個人で行くのではなく、団体を通してボランティアをしようと思いました。インターネットでいろいろ調べた結果、「カリタス・ジャパン」というカトリック系の団体にお願いすることにしました。というのもカリタス・ジャパンは国際カリタスの一員であり、カリタスの存在はフランスでも知られていますし、彼らのハイチ大地震、スリランカやイラクの難民支援など、世界中で幅広く行われている活動に好感を持ったためでした。

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